文化財が未来を生き抜くヒントに「空穂屋」が身を挺して子どもたちに伝える遺伝子情報とは |ブログ|岐阜市シビックプライドプレイス

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文化財が未来を生き抜くヒントに
「空穂屋」が身を挺して子どもたちに伝える遺伝子情報とは

文化財が未来を生き抜くヒントに<br>「空穂屋」が身を挺して子どもたちに伝える遺伝子情報とは

みなさんは岐阜市に295点の文化財があることをご存知ですか?(令和6年1月時点)

文化庁では文化財を「我が国の長い歴史の中で生まれ、はぐくまれ、今日まで守り伝えられてきた貴重な国民的財産」と定義していて、さまざまな建造物や絵画、工芸品、民俗文化などが指定・登録等されています。

文化財と聞くと、遠い存在の恐れ多いものと感じる人もいるかもしれませんが、近年、観光やまちづくり活動などに活用され、文化財を身近に感じられる機会が増えています。

今回、ご紹介したいのは岐阜市靭屋町にある国の登録有形文化財の「空穂屋店舗兼主屋」と「空穂屋土蔵」(以下、空穂屋(うつぼや)さん)です。2009年に上松隆造さんご夫婦がカフェ経営をしながら暮らしはじめた建物で、2011年頃から岐阜市と協力しながら文化財登録に向けて動き出し、2013年6月に文化財となりました。空穂屋さんが文化財の登録を進めてきた理由は「子どもたちの教育のため」です。これまでに、小学校の授業で延べ400人の小学生が空穂屋さんの見学をしています。

新しい技術が進化し、最先端のICT教育が求められている時代に、なぜ、時代を遡って歴史や文化を学ぶ必要があるのでしょうか。また、空穂屋さんを見学した子どもたちが何を思い、何を感じたのか、見学の様子を紹介しながら考えてみました。

岐阜市靭屋町の御鮨街道沿いから、国登録有形文化財の「空穂屋店舗兼主屋」を見ることができます

空穂屋さんがある靱屋町は岐阜城がそびえる金華山の麓「岐阜町」にあります。岐阜城の城主だった織田信長が、尾張清須から職人と町人を呼び寄せてつくりあげた城下町です。関ヶ原の戦いの前哨戦で岐阜城が落城した後も、町人が商業のまちとして存続させ、長良川の上流から運ばれた材木や美濃和紙をいかした商売でつくり上げられたまちです。

空穂屋さんは岐阜町を支えてきた紙問屋の一つでした。江戸末期に建てられた建物は1891年(明治24年)の濃尾震災で倒壊してしまいましたが、翌年に再建された現在の建物には、江戸末期の面影を残した近代初期の町家の特徴が見られます。

例えば、すきま風が入る格子戸、電気のない時代に明るさを確保した明かりとり、大黒柱、床は木板が張られています。紙問屋だったため、玄関から家の奥にある紙倉庫(蔵)まで続く土間(町家に見られる、いわゆる「うなぎの寝床」)もあります。

表通りから家の中は見えにくいが、家の中からは外が見える格子戸。泥棒に入られにくい昔の人の知恵です

うなぎの寝床のような奥行きのあるの土間(左)と、明かりとりの下でメモをとる小学生(右)


表通りから家の中は見えにくいが、家の中からは外が見える格子戸。泥棒に入られにくい昔の人の知恵です。

空穂屋さんを見学する子どもたちは、今の住まいには見られない造りに関心を寄せるそうです。特に、強烈な印象が残るのは土蔵なのだそう。外の音が聞こえないほどの厚い土壁に覆われた蔵の中に入って重い扉を閉めると蔵の中は真っ暗。頼りになるのは小さな窓から差し込む明かりのみ。子どもたちは恐怖を感じながらも、火事から大切なものを守り、防犯のために窓が小さいことを知ります。

上松さんから土蔵の役割を聞く小学生

子どもたちは空穂屋さんで五感を使った見学をしながら、昔の人の暮らしや岐阜町が美濃和紙などの産業で栄えていたことを知ります。さらに、紙問屋だった頃はここで自分たちと同じ世代の子どもが、口減し(くちべらし)のために奉公をしながら、ご飯を食べさせてもらっていた事実も教えてもらいます。

最初は立派な大きな建物を目の前にして「ここに住みたい」と言っていた子どもも、見学を終えると「今の生活がいい」「自分の家で暮らしたい」と考えを一転させるそうです。今のような便利な道具がない時代の人たちが生き抜いてきた知恵や工夫を学ぶことで、子どもたちは今の生活環境のありがたさや大切さ、自分たちが恵まれていることを実感します。

家屋に使われていた当時の釘や職人向けに販売されていた釘の包装が残っています

実際に空穂屋で生活をしている上松さんに聞くと、冬は底冷えするような隙間風が吹いたり、時には床下で生き物が歩いている音が聞こえたりするとのこと。不便なように感じる建物ですが、かつての日本家屋では当たり前だった風景です。この風景を子どもたちに「残像として残したい」と上松さんは話します。

また、空穂屋を訪れた人の中には初めて訪れたにもかかわらず、懐かしさを感じる人が多く、この現象を上松さんは「人間の中にある遺伝子に組み込まれている記憶」と言います。

このとき、突然ですが、アクア・トト ぎふ(岐阜県各務原市川島)のイタセンパラの保護・増殖活動を思い出しました。イタセンパラは絶滅危惧種ですが、暖かな屋内でぬくぬくと育てられておらず、実際に生きているリアルな環境と同じ屋外で保護し、繁殖させています。理由は「この先、イタセンパラを自然の中へ還せる環境がつくられた時、本来の生息地と同じ環境下で生きていくことができる遺伝子を残すため」。空穂屋さんを通して、昔の人の知恵や工夫、自然と共に生きてきた暮らしぶりを知ることは、これと同じ理屈ではないかと感じたのです。

遺伝子に残った歴史や文化の記憶がこの先、乗り越えていかなくてはいけない未来を生き抜くヒントになるかもしれないのです。自分が暮らす岐阜を知り、誇りをもって生きて欲しいと、空穂屋さんは自身の住まいを教材にしながら子どもたちに伝えています。

 


<書き手>メディコス編集講座 第2期生 伊藤曉揮子

メディコス編集講座とは、岐阜市の魅力的な情報を集め・発信する担い手育成を目的として岐阜市が開催している講座であり、令和5年度の第3期までに68名が修了し、市民ライターとして活動しています。