岐阜市の水道の起源を知り、見て、何を感じるか?

電気、ガス、水道…いずれも料金の支払いを滞納した場合に、
最後に止まるのは「水道」と聞いたことがあります。
そして、その理由を「電気やガスより水道がないと困るから」という人もいます。真偽は不明ですが、これには納得できる部分もあります。
朝起きてから洗顔・歯磨きに始まり、料理や入浴にも欠かせない水道。
一方で、今となっては蛇口をひねれば水が出るのは当たり前。
この水はどこから、どうやって来たのかを意識する機会はないかもしれません。
そもそも、水道はいつからあったのでしょうか。
歴史の授業で習った記憶はありませんので、調べてみたところ、
水道の原型は江戸時代、近代に通じる水道は明治時代にできたそうです。
これ以前は川や井戸から水を汲んで使用していたそうですが、水質問題や人口急増に伴い水道が普及したんだとか。
では、「岐阜市」の水道はいつからあったのでしょうか?
答えは「1930年(昭和5年)3月」。
長良川左岸(鏡岩水源地)に浅井戸が作られ、伏流水を水源として、
旧岐阜市内南部全域に給水されました。
伏流水とは、川底の砂れき層(荒い砂を含んだ層)を流れる地下水のこと。
砂れきで不純物等をろ過・吸着するため、水質が良好になるそうです。
よって、全国的にもおいしい水道水として評価されており、
厚生省の「おいしい水研究会」が発表した「水道水のおいしい都市」にも、
岐阜市が選ばれているようです。
筆者は長野県の水道水を飲んで育ちましたが、正直まずいと思ったことも、
美味しいと思ったこともありません。
しかし、岐阜市の水道水は何度飲んでも毎回美味しいな、と思います。
少し話が逸れましたが、岐阜市で最も古い水源地、鏡岩水源地について、
完成当時の建物が現存するのをご存知ですか。
通水開始から、1972年ごろまで使われていた、
鏡岩水源地のエンジン室・ポンプ室です。
岐阜市の金華山のふもと、岐阜公園の北側にその建物はあります。
先ほど鏡岩水源地では伏流水を水源としているとお伝えしましたが、
エンジン室・ポンプ室の壁面には、まさに伏流水をろ過する役割を担う、
長良川の川原石が使われています。
なお、この建物は現在「水の資料館」、「水の体験学習館」として活用されています。
ここまで、岐阜市の水道の始まりと、残存する当時の建物を
ざっくりとご紹介しました。
エンジン室・ポンプ室については、外観についつい目を奪われますが、
訪れる際は、岐阜市の水道の歴史を調べることを強くオススメします。
※岐阜市HPの「水道事業の紹介」ページは読んでおくのがオススメです。
上記を読んで、1945年7月に岐阜空襲があり、
市中心部は焼失、水道施設も大被害を受けたことを知れば、
「空襲に見舞われ、岐阜市が、見渡す限り焼け野原の中、
この建物は戦火を逃れ、水道で復興を支えたのだろうか?」。
また、浅井戸は直径10m、深さ19mということを知れば、
「かなりの動力が必要だ、エンジンのサイズはどれくらいだろうか?
稼働時には大きな音がしたのだろうか?」。
このように、単におしゃれでかわいいな、と思っていた建物が、
また違って見え、色々な思いを巡らせることができます。
是非、岐阜市の水道の歴史を知り、鏡岩水源地を訪れて、
あなたが何を感じたかを教えてください。
<書き手>メディコス編集講座 第4期生 くましろ くるみ
メディコス編集講座とは、岐阜市の魅力的な情報を集め・発信する担い手育成を目的として岐阜市が開催している講座であり、令和6年度の第4期までに83名が終了し、市民ライターとして活動しています。