”岐阜”で落語を聴いてみませんか

あなたは、普段気を張って仕事して”心が疲れた”ことはありませんか。
私のリラックス法の一つは、落語を聴くことです。落語を聴いて噺に耳をすませば、心の疲れが癒されるような気がします。
そこで今回ご紹介するのは、岐阜市で行われている「岐阜落語を聴く会」です。
この「岐阜落語を聴く会」は、日本の伝統話芸「落語」を楽しみながら継承発展させたいという思いで、年4回(季節ごとに)プロの落語家の噺が聴ける岐阜地区で唯一の落語会です。
「岐阜落語を聴く会」とは
「岐阜落語を聴く会」は1970年(昭和45年)11月26日に、岐阜県ユネスコ協会が、当時提唱していた古典芸能育成活動の一環として、愛知県在住の話芸研究家の関山和夫さんを指導者として「古典落語を聴く会」を結成したことが始まり。第1回例会を古今亭圓菊、三遊亭ぬう生を迎え開催して以降、現在まで約55年この会は続いています。
関山さんいわく、この活動を継続するには話芸への真摯な態度と、興行としての落語会とは一線を画した落語会主催者の倫理観が大事なのだそう。
そこで「岐阜落語を聴く会」は、日本の伝統話芸「落語」を楽しみながら継承発展させることを目的とした鑑賞サークルであり、運営は会員の会費のみで行うものとしてきました。
これらの活動を通して、「岐阜落語を聴く会」は1990年(平成2年)には平成元年度の岐阜県芸術文化活動等特別奨励(岐阜県教育委員会)を授与されました。
落語を聴く会を始めた背景
関山さんが落語を聴く会を始めた背景には、研究者として、僧侶たちが民衆に対して行った「説教」(節談説教)が話芸の源流にあるとの観点から、独特の芸能史を展開してきたことも関係しています。
祭文・琵琶・浄瑠璃・浪花節などの語りものや、節談説教・絵解き・万歳・講談・落語などの「話す芸」について多角的に究明し、「話芸」という言葉の創始者でもあります。また、落語会の企画も多く行っており、落語関係の著作が多かった作家、安藤鶴夫とも交流があったことなどが挙げられます。
そこで、関山さんは興行としての落語とは異なった、日本の伝統「話芸」である落語を楽しみながら継承、発展させる鑑賞サークルをつくることを目指して、1967年から「含笑長屋落語を聴く会」を名古屋で始めたんです。
1970年代に入ると、関山さんを顧問として誕生した地方落語会が北関東から九州まで10余り存在しました。そのうち、「かまくら落語会」「蒲郡落語を聴く会」「岐阜落語を聴く会」が2024年現在も活動を継続しています。
現在の「岐阜落語を聴く会」
2024年現在、「岐阜落語を聴く会」は永縄照良さんが代表世話人として主に活動を支えています。「発足初期から50年以上足を運ぶ会員もいる。50年続けられているのは、落語会を愛してくださる会員の存在があるからこそ」と50年を超えて活動を継続していることについて永縄さんは言います。
例会の場所は市中心部の柳ケ瀬地区の貸席などを転々とし、10年前から「みんなの森 ぎふメディアコスモス」に定着しました。出演者も常連のベテランから若手までさまざまです。初めて出演を依頼する時は、会のメンバーが、東京や名古屋などの寄席や落語会に足を運び、実際に聴いてから決めているといいます。
例会の前座は、地元の大学で落語研究会などに所属する学生や、社会人のアマチュア落語家らが務めるのが伝統になっているそう。
永縄さんも岐阜大学の落語研究会時代に2度、前座を務めました。卒業後は県内の小中学校で教員をしながら、アマチュア落語家として活動。市民向けの落語講座のほか、6年前から小学生対象の落語出前講座の講師として、落語の楽しさを伝えています。
永縄さんは「伝統の話芸を追求している落語家にこだわって開いてきた。これからも55年の伝統を守り続けていきたい」と話します。
わたしは、関山さんが各地の落語会設立に関わることで、”文化として落語を地域に根付かせる”ということをめざしていたこと、そして、岐阜での永縄さんの活動を通じて落語という文化の継承がなされていくのだということを学びました。
この機会に「岐阜落語を聴く会」を訪れてみませんか?
<書き手>メディコス編集講座 第4期生 小松 剛
メディコス編集講座とは、岐阜市の魅力的な情報を集め・発信する担い手育成を目的として岐阜市が開催している講座であり、令和6年度の第4期までに83名が終了し、市民ライターとして活動しています。