1300年続く伝統の存続が、たった1人の職人にかかっている──鵜舟をつくれる世界唯一の現役舟大工 田尻浩さん |ブログ|岐阜市シビックプライドプレイス

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1300年続く伝統の存続が、たった1人の職人にかかっている──鵜舟をつくれる世界唯一の現役舟大工 田尻浩さん

1300年続く伝統の存続が、たった1人の職人にかかっている──鵜舟をつくれる世界唯一の現役舟大工 田尻浩さん

「岐阜といえば鵜飼」。1300年以上の歴史を持つ長良川の鵜飼は、岐阜を代表する伝統文化として知られている。しかし、鵜舟をつくれる現役の舟大工が岐阜県では、今やたった一人しかいないという事実をご存じだろうか。
その唯一の担い手が、郡上市で田尻浴槽店を営む田尻浩さん(65歳)。舟大工になって45年、鵜舟や和舟、大きな木桶まで手がける多才な職人だ。

「ヨツワリ」と呼ばれる鵜舟の図。水が漏れないように精密さが求められる鵜舟だが、図はとっても簡易的。木の個性に合わせて鵜舟をつくるためだ。万が一、鵜舟の一部が割れたとしても木の節があるとそこで割れが止まるので、危険度が高い船底には節が多い木を使う。シラタ(木の傷みやすい部分)は鵜舟には使えない。シラタの多少は木によって異なる。適切な木を適切な場所に使う職人技が必要だ。

全長約13メートルの鵜舟は、日本各地の和舟の中でも特に大きい。驚くべきことに、設計図は存在しない木は一つ一つ異なるため、設計図があったとしても当てはまる木を探すのは困難。舟大工がそれぞれの木の特徴を見極めながら舟を仕上げていく。

「給料はいらない」──若き日の覚悟

「お湯が出るように給湯器を付けた」と説明する田尻さん。田尻さんは給湯器の設置・修理の仕事もしている。郡上鮎の販売もしていて、最近は鮎の甘露煮作り・販売も始めた。世界で唯一のとんでもない現役職人なのに別業種の仕事を色々していて私は驚くが、「鮎の甘露煮が好評で嬉しい」と楽しそう。

田尻さんが舟大工に興味を持ったのは20歳の時。中学卒業後、夜間学校に通いながら木桶や木風呂作りの職人として働いたが、時代の流れで仕事が減っていく。新たな仕事を考えた時に、水を漏らさない木工品という共通点、そして釣りが趣味だったことで閃いたのが鵜舟づくりだった。

当時、各地にいた舟の職人4人に直談判するが、全員に弟子入りを断られた。「技術を身に着けても食っていける保証がない。」「高齢で教える体力がない。」──当時から鵜舟職人の現実は厳しいものだった。

それでも諦めなかった田尻さんは、給料はいらない。むしろ勉強代をお支払いしたい。と熱い気持ちで説得し、美濃市の和舟職人・那須清一さんに弟子入りを果たす。1年で10艘というハイペースで毎日和舟をつくり技術を磨いた。修行は厳しいもので1度逃げ出したこともあるが、死に物狂いで努力した。8年後、師匠から免許皆伝を受け独立する。

ただし、鵜舟づくりは師匠からは教わっていない。田尻さんは現物の鵜舟の寸法を測り大きさを把握し、教わった和舟づくりの技術を生かして、鵜舟1艘目を作り上げた。この時田尻さんが鵜舟をつくっていなかったら技術は途絶えていたかもしれない。

途絶えかけの技術を、次世代へ

舟大工見習いの今井翔佑さん(38歳)は、鵜舟の船頭として活躍している。「舟に乗る船頭ならではの視点で鵜舟の改善点を考えられる」と兼業の強みを活かし鵜舟づくりをしている。今年で5年目、5艘目の鵜舟。保存会から舟大工の打診をされた時は、「この歳で新しいことを始めるとは」と戸惑いもあった。今井さんが手に持ってるのは、角度を測るための舟大工道具。計測箇所に棒を添え、棒に刻まれた横線から紐までの長さを測る。

田尻さんが体調を崩したことがあった。田尻さんの師匠・那須さんは当時90歳を超えていた。現役を退いて久しい。この間、鵜匠たちは新しい鵜舟を新調できず、修理しながら乗り続けるしかない。関係者みんなが鵜飼存続の危機を強く実感することになった。

2021年、主に長良の鵜匠で組織する岐阜長良川鵜飼保存会は舟大工を雇用することで技術継承の試みを始めた。鵜飼を行わない11月〜3月までの5か月間、鵜舟の船頭3人が舟大工見習いとして鵜舟づくりを学んでいる。田尻さんは郡上市から岐阜市へ週5日通い、鵜舟づくりを教えている。田尻さんと舟大工見習いの4人で1年に1艘の鵜舟をつくっており、2026年度で6艘目が完成する予定だ。それで6人の鵜匠、全員分となる。

写真左:木の皮。この状態から手で撚り紐にしていく。「船頭として鵜飼道具を用意するので藁での紐作りには慣れているが、木の皮での紐作りはかなり難しい」と、今井さん。1艘の鵜舟にこの紐が約30m必要。写真右:木の皮の紐を板に入れていく作業を実演中。本来は組み立てた鵜舟の仕上げとして行うが、仮の板に入れて見せてもらった。鵜舟は隙間がないように作られているので、紐を入れられるところがないように見えるが、無理やりにでもこの紐を入れ込んでいくことで水の侵入を完全に防ぐ。

昔は鵜飼漁の頻度が高く今よりも鵜舟の消耗が早かったため、5〜8年で乗り替えていた。今は15年程、大切に乗り続けている。材料費の高騰により、鵜舟1艘の価格は車1台分ほどに膨れ上がった。鵜舟を作るには木をねじる工程が必要で、それに対応できるのは岐阜県白川町のコウヤマキだけ。材料の変更はできない。以前、鵜舟は鵜匠が舟大工から購入していたが、今は保存会や補助金の支援なしには難しい。

写真左:木の板に溝を掘り、穴を開け、舟釘を打つ。そして細い木を溝に合うように削り、叩いて入れる。見学者に説明するための板なので下から舟釘が出ているが、実際は下に板を配置しその板に舟釘が入る。鵜舟1艘につき木の板を約70枚使用し、約1250本の舟釘で繋ぐ。右写真:鵜舟の底部分。横に寝た状態で舟釘が打ち込まれている。赤色の印は釘打ち箇所の意味。鵜舟が最大強度になるよう、次に板を繋ぐ際は、印と印の間に舟釘が入るようにする。

鵜舟づくりの高度な技術を身に着けても、需要が少なく商売として成り立たない。これが、鵜舟づくりの技術が途絶えかけている大きな理由だ。

とはいえ、たった1人で伝統の存続を背負うのは重圧で苦しいのではないかと思った私は、「船頭さんが頑張って勉強しているけど、後継者として専業の舟大工さんがいたらと思うことはないですか?」と質問した。田尻さんは即座にこんな難しいこと、やらせられない。と答えた。

鵜舟づくりの先生として田尻さんが依頼された期間は6年間。来年度で終了する。その後の技術継承については未定とのこと。

木の香りに包まれた造船所で

長良川うかいミュージアム市民講座「鵜舟づくりの見学&体験講座」(なんと無料!)に参加し鵜舟の現状を知り、これは伝えたい!と思いブログを書いた。私は鵜舟をつくれる職人が1人しかいないことも、鵜舟が全部手づくりなことも知らなかった。うかいミュージアムは様々な講座・イベントを開催しているので、ぜひ参加して岐阜市を知ってほしい。青色ジャケットの女性は講座担当の河合昌美さん。

長良川うかいミュージアムから徒歩1分の鵜舟造船所。木の良い香りに包まれたその場所で、田尻さんと見習いたちは今日も鵜舟をづくり続けている。赤い粉をつけた紐を弾いて線を引き、ノコギリを木に擦り合わせ、「トントコトントコ・トン!」と太鼓のような綺麗な音を響かせて舟釘を打ち込む。熟練の職人技は、実に美しい。
作業を終えて帰る今井さんに、田尻さんが郡上のハムを渡す場面があった。師匠と弟子というより、良き同僚、仲間のような関係。難しい技術の伝承の中にも、温かな人間関係が息づいている。
今はまだ、完全に伝承が途絶えてしまった訳ではない。危機に気付き、奮闘している方たちがいる。岐阜の鵜飼を未来に繋ぐため、素晴らしい日本の技術を繋ぐため、唯一の現役鵜舟大工と船頭たちの挑戦は続いている。

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<書き手>メディコス編集講座 第5期生 渡辺 永梨
メディコス編集講座とは、岐阜市の魅力的な情報を集め・発信する担い手育成を目的として岐阜市が開催している講座であり、令和7年度の第5期までに103名が終了し、市民ライターとして活動しています。