No.35
人生の一瞬に、そっと重なる刺繍
加藤 千尋さん
ユタカ工房 三代目
iCONOLOGY 代表 デザイナー/ディレクター
1993年 岐阜市生まれ
岐阜市御望で34年続く刺繍工場「ユタカ工房」の三代目。大学で西洋美術史を学んだ後、二代目の父に教わりながら刺繍職人としての技術を磨き、就任3年後に刺繍の洋服ブランド「iCONOLOGY(イコノロジー)」を立ち上げた。袖や胸元に大胆に入れられた美しい花の刺繍が印象的な洋服を制作している。
現在のあなたの活動について教えてください
― 刺繍職人の仕事について教えてください。
ユタカ工房は、もともと縫製工場をやっていた祖父が始めた刺繍工場です。アパレルメーカー様の製品からユニフォーム、刺繍雑貨など様々なアイテムへの刺繍加工を担っています。「ジャガード刺繍機」「サガラ刺繍機」といった大量生産に対応できる大きな刺繍機を動かし、刺繍を製造しています。クライアントワークの場合には、いただいた図案をもとに刺繍データを起こし(「パンチング」とも言います)、 サンプル作成、量産まで担います。
― なぜブランドを立ち上げたのでしょうか。
90年代ごろからでしょうか、他の国内の繊維産業の例に漏れず、うちもアパレルの製造拠点が国内生産から海外生産へ移行していった煽りを受け、私が手伝い始めたころには創業時に比べると仕事量は明らかに減っていたと思います。流行などに左右されやすい繊維産業の構造上、致し方ないことでもあるのですが、受注する仕事は常に一定ではなく、加工賃もなかなか上がらない。「同じことを続けているだけでは、いつか波に飲まれて潰れてしまうのではないか」とひしひしと感じていました。そんな厳しい状況を変えるためにいろいろ模索した結果、少ない国内の仕事を取り合うのではなく、なにか新しく自分たちで生み出せることを始めようと思い、「ブランドを立ち上げる」という答えを出しました。
そして、「刺繍工場の強みを最大限に発揮できる服を一から企画する」。そんなブランドを始めようと決めました。服を作ることを選んだのは、刺繍屋さんが手掛けるブランドの多くはワッペンなどの小物や雑貨がメインになることが多く、それならばあえて誰もやっていないことをやってみようという挑戦でもありましたね。
― 洋服の制作について詳しく教えてください。
まず服の形を決めて、その形に合う刺繍のデザインを考えます。その後、案をもとにデザインデータを作りますが、いざ試作をしたらイメージと違ったりすることも少なくないので、何度もやり直し、納得がいくまで試行錯誤を繰り返しています。
刺繍のデータをつくるときにいつもイメージしているのは、日本刺繍のような風合いを織り交ぜることです。手差しならではの温かさと迫力のある日本刺繍のように、できるだけ豊かに表現ができるよう意識しています。他にも、服に刺繍がのったときの全体のバランスや、素材との相性など、検討することは多岐にわたります。
― ブランド名「iCONOLOGY」の由来を教えてください。
「イコノロジー」とは、美術史の研究手法のひとつで、絵画に描かれている図像だけでなく、時代背景や画家の人生、社会的影響など、作品を取り巻くものすべてから絵画を読み解くというものです。刺繍はなにかしらの図像を糸で表現していますが、ただ綺麗な刺繍というだけではなく、人生の背景にほんの少しでも重なるような刺繍でありたいという想いで名付けました。
― ブランドのこだわりを教えてください。
ブランドが始まった当初から、一貫してさまざまな「花」を刺繍してきました。ひとそれぞれに思い出の花があるように、花って人生とリンクしているような気がします。そういったストーリーとともにこの1着を大切にしてもらえたら何より嬉しいです。
実物の花は、単色のようでいて、光の当たり方によって濃淡ができて、何色にも見えることがありますよね。そのようなシンプルな奥行きを表現できるよう意識しています。たとえば、重なり合う花びらや、花びらの表裏、葉と葉脈などを、糸の色数は最低限にしてさまざまな縫い方を組み合わせることで、光沢の差を活かして表現することが多いです。立体感を出すために刺繍の糸密度の高いデザインが多く、ひとつの柄を打つのに3時間ほどかかることもしばしばです。
また、刺繍屋として、刺繍のクオリティにはとても気を遣っています。機械刺繍はミシンが自動で刺繍を刺しますが、誰がやっても同じということはないんです。刺繍データ作成においても、機械を操る場面においても、個々の職人の美意識が反映されると思っています。完璧はありませんが、どこまで突き詰められるかはいつも試行錯誤しているところです。
― お仕事のやりがいを教えてください。
お客様に、「美しいものを見て涙が出ました」と言っていただけたことがあって、そういった声がとても励みになります。刺繍された花にまつわる家族との思い出を教えてくださることもありますね。誰かが私の洋服を手にとって、大切な記憶を思い返すきっかけが生まれたのだと思うと、本当にブランドを始めてよかったと感じます。刺繍ってなにか実用性があるわけではないですが、ひとの心に響くのだとお客様からの声で気付かされました。自分が仕上げたものを直接お客様に届けられるようになり、お客様との距離が近づいたことで、前よりいっそう美しく、一つひとつ良いものを生み出したいという思いが強くなりました。
これからの野望(目標)について教えてください
狭く深く、いいものを作れる刺繍屋でありたいなと思っています。もちろんまだまだ勉強したいことも沢山ありますし、うちの規模だからこそ挑戦できることもあると思っていて、いろいろな生地と糸の組み合わせを試しながら、心に響くものを作っていきたいですね。刺繍屋をいかに続けていくかを模索しながら、挑戦し続けていきたいです。そしてみなさんに、もっといろいろな場所で実際に刺繍を見ていただける機会を増やせたらいいなと思います。
あなたが考えるシビックプライドとは
ブランドをつくると決めたものの、服作りは初めてで何もかもが手探り状態だったのですが、そんなとき、分からないことは岐阜のまちの業者さんたちに教えていただきました。生地の仕入れ方、パターンの作り方、工場への発注方法、付属品のファスナーの仕入先、洗濯タグの発注方法、必要なクオリティなど、、、服のブランドをつくるうえで必要な要素や業者さんが岐阜には揃っていて、本当に岐阜で立ち上げて良かったなと思います。
岐阜のアパレル産業が苦しい状況にあるなか、今もなお踏ん張ってくださっている工場さんや職人さんがいて、この産業に携わるプロフェッショナルたちには頭が上がりません。そんな方たちがいる限りは自分も頑張り続けたいです。
また、アパレル界隈に限らず、岐阜でこだわりを持って活躍されているお店や人たちのエネルギーにすごく励まされています。
コメント
― みなさんにメッセージをお願いします。
袖を通したときに色んな想いが駆け巡る、そんな洋服を目指して日々刺繍をしています。
iCONOLOGYを通じてそんな経験をしていただくことができたなら、作り手冥利に尽きます。
取材日 2025/12/24

