No.30
「一杯入魂」で作る無限の可能性
萩原 雅規さん
冷したぬき天国店主
めん処堀川二代目
1983年 岐阜市生まれ
幼少期から実家の「めん処堀川」で食べてきた冷やしたぬき蕎麦の可能性を追求し、2021年に冷やしたぬき蕎麦専門店「冷したぬき天国」を開店。その後、東京の中目黒で7ヶ月のポップアップショップを出店したり、2023年9月に富山市にフランチャイズ店舗をオープンさせたりするなど、地元岐阜のソウルフードである冷やしたぬき蕎麦の魅力を全国に普及させるために尽力している。
また、アーティストとしての一面もあり、独学で絵について学び、作品の個展開催などを通して自身の可能性を広げるための活動にも挑戦している。
現在のあなたの活動について教えてください
― 冷したぬき天国を立ち上げるまでの想いについて教えてください。
元々実家のめん処堀川(岐阜市古市場)で18年ほど働いていたのですが、ある時体調を崩してしまい、仕事を1ヶ月ほど休んでしまったことがありました。その時に今までの自分を振り返ってみると、小さい頃から実家で働くことは敷かれたレールの上を走っているような感じがして苦しいから嫌だと思っていたのに、気づけば二代目という肩書きで働いていました。自分はずっと父の下で働いていて、自分自身の可能性は無限大のはずなのに、どうしてこんなに窮屈なんだろうと思っていました。
そんな時に、自分には冷やしたぬき蕎麦があると気付いたんです。冷やしたぬき蕎麦は、小さい頃から大人になるまでずっと食べていて、一番身近な存在でした。そこで、その大好きな冷やしたぬき蕎麦で専門店を作りたいという気持ちが芽生え、冷やしたぬき蕎麦の可能性と、自分自身の無限の可能性を信じてやってみようと思ったのが開店のきっかけです。
冷やしたぬき蕎麦愛をこめて自分が作った一杯。それを好きだと言ってくれる人がいる場所が、自分にとっての天国だと感じて、「冷したぬき天国」と名付けました。自分が大好きなものを、同じように大好きで美味しいと言ってくれる人たちが集まったり、自分の作るものに興味を持ってくれる人と関わったりして、全国のクリエイティブな人達との繋がりをより広げていきたいという想いで仕事をしています。
― 冷したぬき天国で大切にされているコンセプトを教えてください。
「一杯入魂」という表現と「シンプルに生きること」を大切にしています。
メニューが冷やしたぬき蕎麦一択なのですが、これしかないと思われたら終わりだと思うんです。たとえば、天かすを毎日綺麗な油で揚げていたり、忙しくても目の前のお客さんを大切にして接客したり、やっていることはシンプルでも、1杯目もそれこそ100杯目だろうと、魂を込めて作った冷したぬき蕎麦を提供することにこだわっています。
また、飲食業は特に足すことが仕事みたいな部分があって、毎月のようにメニューや業態、店舗などを増やしていくことで収益を得ています。堀川での18年間で足すことの大変さを感じ、もっとシンプルに運営したいと思ったことが今の冷したぬき天国に繋がりました。
ただ、シンプルに運営したいと思った中でも、鯖寿司とのセットメニューだけは取り入れています。
岐阜の人ってモーニングや定食などのセットメニューが好きですよね。堀川でもすごく人気なんです。メニューが冷やしたぬき蕎麦一択の中で、何かセットで付けられたらいいなと考えた時に、お寿司をつけることを思いついたんです。冷やしたぬき蕎麦はカジュアルな料理だと思うのですが、蕎麦っていう単語だけで言ったら、ちょっと良いもののイメージがあると思います。そのイメージから、カジュアルだけどちょっと贅沢に感じるものにできたらいいなと感じ、お寿司を取り入れたら面白いと思いました。そこで、料理人の友人に鯖寿司を監修してもらい、冷やしたぬき蕎麦と鯖寿司のセットメニューが生まれました。
― 萩原さんが感じる冷やしたぬき蕎麦の魅力について教えてください。
冷やしたぬき蕎麦って全国にあるんですよ。どこにでもあるからこそ、個性を出すことによって、違いが生まれ、比べてもらうことで面白みも出るというところは魅力の一つですね。
例えば堀川と違って、昆布粉と煎りゴマが乗っていたり、無添加にこだわっていたりと、自分だけのオリジナルの冷やしたぬき蕎麦を作っています。
また、店によって個性が出る点でいえば、岐阜市内の更科さんは岐阜の冷やしたぬき蕎麦の原点だと思っています。やっぱり更科さんがなかったら、冷したぬき天国は存在していないので、この更科さんっていう文化があるからこそ、比べてもらうことができて、冷やしたぬき蕎麦が盛り上がると思っています。
― 冷したぬき天国と岐阜市の他のお店とがコラボしていることが多いですが、コラボメニューを作るようになったきっかけを教えてください。
やっぱり冷やしたぬき蕎麦を面白くしようっていう一心です。基本的には冷やしたぬき蕎麦は決まったものなので、それをいろんな店舗とコラボして、その時だけの特別な冷やしたぬき蕎麦があることが面白いと思っています。自分の店舗だけで新メニューをどんどん作ることももちろんできるのですが、やっぱりいろんな人に知ってもらうことがすごく大事だと思っているので、今回は冷やしたぬき蕎麦が〇〇とコラボして、こんなことやっているんだねっていう情報が記憶の片隅に残るのが大事だという気持ちで取り組んでいます。また、やっぱり飲食業は人との出会いが直にあるので、他店とコラボする中での人との出会いも大きなやりがいの一つになっています。
― 萩原さんはアーティストとしての顔も持っているとお伺いしたのですが、アーティストとして活動するようになったきっかけに教えてください。
きっかけは、新しいチャレンジがしたいという気持ちが自分の中にあったからです。冷したぬき天国とは別に、もう1つ新しい挑戦をしたいと思って活動を始めました。絵を描いてみようと思ったのは、紙と鉛筆があれば出来る手軽さが始めやすいと思ったり、夢中になって時間を忘れて描いているその感覚が気持ちよかったりと、絵を描いてみるきっかけが作りやすく、これだなと決めました。でも逃げ道にするための趣味では終わらせたくなかったので、ちゃんとアーティストとして活動したいと思いました。全て独学で始めたのですが、色々な人とのご縁もあって、個展を開催し、賞をいただけるようにもなり、趣味ではなくアーティストとして自信を持って活動出来るようになったと思います。
これからの野望(目標)について教えてください
―これからの目標・野望について教えてください。
岐阜のソウルフードを目当てに、県外やインバウンドのお客さんが来てくれるお店にしたいです。今は9.9割は日本のお客さんですが、その中でも県外のお客さんがよく来てくれます。東京でも食べたよと言ってくれることがあってとても嬉しいですね。
また、全国に冷したぬき天国を作りたいという思いもあります。フランチャイズが広がっていって、全店舗にご当地の食材を使った、そこに行かないと食べられないご当地の冷やしたぬき蕎麦があったら面白いなって思います。
あなたが考えるシビックプライドとは
実は、最初は岐阜にあまり興味がなくて。自分の可能性と冷したぬき天国の可能性を外へ外へ広げていきたいという気持ちがありました。でも、岐阜で商売をさせてもらって岐阜の町の魅力をすごく感じるようになり、いろんな方と繋がる中で、岐阜ってすごいじゃんという気持ちが芽生えるようになりました。現在は川原町に店舗を作ろうとしているのですが、作る過程で岐阜の人と関われば関わるほど、岐阜を盛り上げよう、岐阜の魅力をもっと知ってもらおうという人たちがたくさんいるんだと感じます。
自分自身は冷やしたぬき蕎麦を岐阜市のソウルフードとして広め、より多くの人が岐阜市に訪れるきっかけを作っていきたいなという思いがあります。自分が岐阜の町への恩返しとしてできることが、冷やしたぬき蕎麦でその町を盛り上げることだと思っているので、岐阜市の誇りを一つ作れたらと思っています。
コメント
人類みなアーティスト。自分らしく生きよう。
取材日 2024/10/21