“Gifu”の魅力を守り、広める提灯職人の飽くなき挑戦 |珍ちんな人|シビックプライドプレイス

interview

No.22

“Gifu”の魅力を守り、広める
提灯職人の飽くなき挑戦

山下 章さん

岐阜提灯職人・株式会社ジャパン・ランタン・インダストリー 代表取締役
美濃国戦国案内人・岐阜市まちなか案内人(観光ガイド)

1979年 岐阜市生まれ

2003年、名古屋の大学を卒業した後、岐阜の提灯会社に就職。その後、2006年には岐阜提灯の製造・販売を手掛ける「株式会社ジャパン・ランラン・インダストリー」を仲間とともに立ち上げる。2015年頃からは自らが職人として実際に提灯制作に携わるとともに、提灯の絵付けなど体験観光に力を入れ始めたことをきっかけに岐阜の観光案内人としても活躍。さらに、2022年からは担い手不足が課題とされる長良川鵜飼の観覧船の船頭にもチャレンジ。「岐阜がもっと魅力あるまちとして盛り上がるように」。その熱い想いを胸に今日も岐阜のまちの中で活動している。

    1. 現在のあなたの活動について教えてください

― なぜ岐阜提灯の職人になろうと考えたのですか。

大学では法律を勉強して2003年の春に卒業し、全く違う会社に就職するつもりだったのですが、ちょうど超就職難の時代で、すぐには就職できず、大学の教員の下で手伝いをしていました。その後、祖父が提灯関係の仕事をしていた縁もあって岐阜の提灯業界の方から声をかけていただき、提灯会社に就職しました。
ところが1年半ほど経つと代表の方が体調を崩され、会社をやめるということになったんです。どうしようかと悩んでいた時、「1年半の経験だけど、他のスタッフやお客様もいるし、ノウハウもあるから、みんなでやったら?」というお声をいただき、2006年に仲間と新たに立ち上げたのがジャパン・ランタン・インダストリーという会社です。
当時、私はどちらかというと営業畑で外を回ってばかりいたのですが、NPO法人ORGAN理事長の蒲勇介さんや、この業界に誘ってくださった方から「やっぱり提灯職人になったほうがいいぞ」というお話をいただきました。そうしたことも契機となって2015年頃からは本格的に職人として働き始めました。

― 岐阜提灯にはどういった特徴があるのでしょうか。

岐阜提灯とは文字通り岐阜で作られた提灯を指すわけですが、もともとは美濃ですかれた和紙と長良川流域の良質の竹を用いて作られたのが始まりです。和紙がとても有名なのですが、実はこの竹もとても大切なんです。それは真竹という種類で、岐阜の美濃地方にしか自生していない「美濃竹」という節の間隔が非常に長い工芸品に適したものを用いています。そうした良質な竹と和紙を活かして、提灯だけではなく和傘、団扇と3つの工芸品が岐阜市で花開いているということですね。

― 職人としての山下さんのこだわり、また提灯づくりの面白さや難しさについて教えてください。

提灯はたくさんの細かい部品から形作られていて、そこには海外製の部品が使われることが多いのですが、私は出来る限り国産のもので作ることにこだわっています。また、提灯の制作は分業制ですが、私が作業する火袋というところだけでも1枚作るのに大体1日半くらいはかかります。それくらい手間暇をかけて作っているものなんですね。
あと、毎日の天気や湿度、気温によって紙を貼る糊の濃さだったり、乾く時間も違ってきますし、毎日が本当に変化に富んでいて…。それは難しい部分であり、面白いところでもあります。自分の体調がちょっと悪いと、ひごを上手く巻けなかったりすることも。提灯の文化が花開いてから500年から600年が経ちますが、これは未だに手作りでしかできないもの、機械では作れないものなんです。

― 提灯職人として活躍される傍ら、まちの観光ガイドもされています。それはどういうきっかけで始めたのですか?

提灯職人になると同時に、提灯の絵付けなど体験観光にも力を入れ始めるようになり、そこで体験してくださるお客様とのお話の中で、金華山や岐阜城、鵜飼、グルメなど、岐阜の観光のことを聞かれるようになりました。答えられるところもあったのですが、お客様からもっと深く知りたいという気持ちが感じ取れたので、どうしようかと悩んでいました。すると、ちょうどその頃にNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」に合わせて美濃国戦国案内人のガイド募集の話があり、手を挙げたんです。そこから、岐阜市のまちなか案内人も兼ねて、長良川界隈や岐阜公園、岐阜城などで旅行客の皆さんのツアーガイドをするようになりました。

― ガイドをする中で特に伝えていきたい岐阜の魅力やポイントはどこにありますか。

日本遺産第1号、「信長公のおもてなしが息づく戦国城下町・岐阜」ということで、なかなか怖いイメージがある信長さんが実はおもてなしが大好きでウェルカムな人だったということを観光客の皆さんに知っていただきたい。また、1度ではなく2度3度と岐阜を訪れていただき、もっともっと岐阜の魅力が広く伝わるように案内したいと思っています。最初は岐阜って何もないところだよねというのが皆さんの第一印象としてありますが、例えば関西方面のお客さんだったら、関西と岐阜市に関わる話から興味を持っていただいて、そこからさらに深堀りして、ストーリーを繋げ、岐阜の観光地をご案内するといった工夫をしていますね。

― 鵜飼観覧船の船頭にも挑戦されています。そのお話も聞かせてください。

2022年の春、観光ガイドをする中で「鵜飼の船頭さんが足りない」「アルバイトだけではなく、20年30年という期間で船頭をできる方を探している」という声を聞きました。そこにたまたま岐阜市が船頭さんの担い手を育成する研修制度を作ったとの話があり、自分ができるかどうかはわからないけど、研修で体験してみようと思ったんです。
どうしても船頭というと「難しい」という先入観があるかと思います。やってみたら確かに難しいです。でもコツさえつかめば実は力はそんなにいらなくて、女性の船頭さんも多くいらっしゃるように、女性の力でも難なくできる操船なんですね。まだ研修を終えただけの身ですが、そんなに身構えたり敬遠する必要はないのかもしれません。

― 岐阜提灯の職人に、岐阜の観光ガイド、長良川鵜飼の観覧船の船頭。山下さんのいずれの活動にも通底する想いがあれば教えてください。

私は岐阜市で生まれ育ち、実は若い時は岐阜のまちが大っ嫌いだったんです。何もないまちだなと。でも大学時代に外に出て岐阜を見つめ直したときに「岐阜ってひょっとして良いまちなのかな」と思うようになりました。
その後、岐阜に帰って働くようになり、岐阜のまちを元気にしようと活動する多くの方と知り合うことができ、岐阜をもっと魅力あるまちにしたいし、それを全国や世界の人たちに知ってほしいという気持ちが強くなったんです。
その一方で、あらゆる分野において人材・担い手不足という問題点があることも見えてきました。提灯も和傘も鵜飼の船頭も担い手がいないし、観光ガイドだって高齢化が進んでいる。そこで、自分ひとりの力ではどうにもならないけど何かお手伝いができて、岐阜市がもっと魅力あるまちとして盛り上がるならぜひやってみたいという想いでチャレンジしています。根底にあるのは岐阜が好きという気持ちだけですね。


  1. これからの野望(目標)について教えてください

コロナ禍の往来の制限も解除されてくる中で、国内の方だけに限らず、もう一度ヨーロッパ、アメリカなど海外の方にも岐阜というまちを知っていただけるよう自分なりにPRしていきたいと思っています。10年程前から数年に一度フランスで行われる日本のプロモーションイベントに出展させていただいていますが、漠然と岐阜を紹介するのではなく、もっともっと岐阜提灯、長良川の鵜飼といった個々の魅力を知ってほしい。そして、来ていただいた方をしっかりとおもてなしできる態勢づくりもしていきたいと考えています。

  1. あなたの考えるシビックプライドとは?

岐阜のまちにはこんなにたくさんの魅力があるのにそれを知っている方が少なすぎるように思います。身の回りの地域のことなど小さなことでもいいので、自分の生まれたまち、岐阜市は実は素晴らしいまちなんだということを何か1つでも見つけてほしいです。そうすると、このまちを何とかしようと動いてる方が皆そうであるように、ずずっと深くまで入り込んでいける部分があると思います。多くの人が岐阜市を知っていただく、私の活動を通じてそれを実現できるツールができれば嬉しく思います。

  1. コメント

川原町や岐阜公園を訪れる、あるいは岐阜城に登ったり、はたまた長良川の鵜飼に一度乗船するなど、小さなことからでも岐阜の魅力を知っていただけると嬉しいです。そうしたことが、自分自身による岐阜市の発信、さらなる大きな活動への広がりにつながるかもしれません。皆さんがいろんなことから岐阜市に興味をもち、岐阜のまちを好きになっていただけることを心から願っています。

取材日 2022/12/2

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