No.3
女性和傘職人が語る
岐阜和傘のコレから
河合 幹子さん
和傘職人
1987年 岐阜県生まれ
母方の実家は岐阜市加納地区の老舗和傘問屋「坂井田永吉本店」。和傘が日常に溶け込んだ幼少期を送る。
2015年頃、伯父 阪井田永治氏に「和傘作りを手伝ってみないか」と声をかけられたのがきっかけで和傘の道へ進む。
5年前には自身のブランド「仐日和(かさびより)」を立ち上げた。
あなたの活動について教えてください
仐日和(かさびより)という屋号で岐阜和傘の製作をしており、和傘職人になって6年経ちました。岐阜和傘は昔から分業制が基本でしたが、部品を仕入れて、組立から完成までを私・アシスタント1名・外注1名の3人体制で行っています。1か月に15本から20本製作しています。
和傘職人だった祖母の影響を受け、祖母が得意だったデザインの和傘を制作することが多いです。今は雨の日に着物を着る方が少ないので、洋服にも合うデザインで普段使いできる和傘の制作を心掛けています。また、家紋や屋号などを名入れするなどお客様の要望にもお応えしています。
岐阜高山の家具メーカーであるオークヴィレッジさんから、梅雨の時期に是非岐阜和傘を東京の店舗で展示してほしい、という依頼があり、3年前から東京で年に1回展示会を開いています。岐阜和傘を遠方の方にも紹介できるとても良い機会になっています。
和傘の材料が豊富にあり、部品や和紙の職人さんも多かった昭和の時代に比べると、現在は和傘職人としての技量を上げていくのが難しいと感じています。
技を競い合っていた昭和の和傘はとても品質が高く、手の込んだ作りになっています。
その時代の人たちに近づくためには、1本の制作からより多くの経験値を得なければなりません。
これからの野望(目標)について教えてください。
岐阜市民の方でも岐阜市が日本一の和傘生産地であることを知らない方が多いので、まずは地元の方に少しずつ認知していただきたいと思っています。また、職人としての技量をもっと高めて、傘そのものの品質を高めていきたいです。
ゆくゆくは、岐阜和傘を保護すべき伝統工芸ではなく、岐阜市に根付く産業のひとつにしていきたいです。
あなたの考えるシビックプライドとは?
岐阜は日本で1番の和傘の生産地である、というのが私にとってのシビックプライドです。
和傘はもちろん、長良川の上流から川を下って運ばれてきた上質な美濃和紙と竹、木材が岐阜市で水上げされ、それらを使った提灯や水うちわなどの工芸品の制作が盛んでした。
岐阜に住んでいる方にもっと工芸品を身近に感じてもらえたらうれしいです。
コメント
初めての和傘にはお手入れ不要で軽くて扱いやすい日傘がおすすめです。
かわいらしいものから渋いデザインのものまでいろいろ制作しています。
取材日 2021/3/17