江戸時代、長良川の鵜飼で捕れた鮎は、御鮨所と呼ばれる施設で飯と一緒に発酵させて鮎鮨とされ、尾張藩からの献上品として江戸の将軍家に運ばれた。岐阜から笠松町を経て名古屋、熱田へと続く岐阜街道(尾張街道)はそのルートとなったことから、御鮨街道(別名・鮎鮨街道)と称される。江戸までは昼夜兼行で運ばれ、4、5日で到着したという。街道沿いには今も、かつての岐阜の風情を感じさせる景観が多く残されている。
編集講座1期生 山下雅弘





